城東渭山同窓会

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創刊9号

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【平成13年城東渭山同窓会 東京支部総会レポート】
支部総会幹事 支部会報「藍」編集担当
城東16回 木村 孝
『やはり話題は100周年のこと』


 21世紀最初の平成13年度、城東渭山同窓会東京支部総会は、6月10日(日)、品川の品川プリンスホテルにて、開かれました。

 ご承知かとも思いますが、東京支部総会は毎年、原則として6月の第二日曜日と決まっています。ところがこの時期はどのようなスタイルの会場でもたいへんな繁忙期で、値段も高く、まして足の便の良いところになるとなおさらです。この会場選びが毎年幹事の悩みの種です。今年もいろいろ苦労したあげく、幹事代表の竹口省三君の尽力で、品川、それも駅の前のプリンスホテルと決まりました。

 学校からは新任の平尾俊宏校長をはじめ、4名の先生方、同窓会本部からは上田和子会長他4名、そして、「100周年を祝う会」副実行委員長の高畑宏比氏(城東24回)が徳島よりおいで下さいました。

 そして、特別ゲストとして恩師、阿部健先生、桑内瑠美子さん(城東16回)もお迎えしました。

 まず中村昭博支部長からのあいさつではじまり、行事会計報告、そして承認などを終えたあと、平尾校長先生から、現在の城東高校の近況、城東生の活躍ぶり、新校舎建設のことなどのお話があり、上田本部同窓会長のごあいさつもいただきました。なつかしい徳島の空気をたっぷり味わった思いがしました。

 やはり一番話題になったのは、学校創設100周年を来年迎えるということ。徳島では瀬戸内寂聴先生を「祝う会」の会長として準備中であるということでした。

 会の後半では先に紹介しました桑内さん、彼女は今も現役で活躍中の元宝塚トップスターの瀬戸内美八さんです。徳島からわざわざお弟子さんを三人連れて来ていただき、歌と踊りのミニディナーショーを私たちに披露していただきました。時間は短いものでしたが本物のショーを参加者一同たんのうしました。

 今年の一般参加者は、約100名で、年々、参加する人を集めるのにも苦労しています。これは徳女の諸先輩が高齢になられつつあるということもありますが、何より、若い会員の参加が増えないというのが大きな理由です。

 支部では、何とかこれを克服しようということで、平成6年より、この会報「藍」を発刊し、少しでも同窓会に関心を持ってもらえるよう努力しておりますが、まだ、よい結果が得られておりません。

 この会報をお読みになられたみなさま、今年はぜひ、足を運ばれるようあらためてお願いいたします。

 今年は城東17回生が幹事の中心となって開催予定です。


『縁』

第16回卒業生  金子 充


 1年生の頃、高校はまだ北側に木造の校舎もあり、雑然としていた。木造の校舎の前にはクローバが咲いていた。ちょうど我々のクラスの下が職員室で、大騒ぎをしてドシドシと床の音がする度に担任の大西先生は、さぞ肩身の狭い思いをされた事と思う。

(因みに大西先生のお嬢さんは山梨テレビのアナウンサーをしている。先生からは想像出来ない?チャーミングな女性である。昨年の年末にTBSで、全国美人アナ・ハプニング大賞に出演していたので、知らずに見られた方もあるかも知れない。)

 さて、弓道部の話であるが、1年生の時、現在徳島に居る赤松誠三君がある時、学校で弓の練習をしていた。その時、初めて和弓の美しさに魅入り、弓道の虜になった。当時、弓道のクラブは無く、個人の趣味としてやっていた。そんな時、体育の山本先生が、城南や城北には弓道部があるのに、城東には無いから弓道部を作らないかと、中学から弓道をやっていた赤松君に話があった。クラスの中の岡本君、伊勢岡君がすぐ練習に加わり、自分も入る様になった。仲間も少しずつ増えて、その年、生徒会に申請して、弓道同好会として承認された。13人で、部費は全く無しの状態からの出発だった。当然、高校に弓道場は無く、毎日、放課後になると城山の端にある武道館へ練習に通った。

 2年になって生徒会で、今度はクラブとして承認された。ところが予算会議の時、部費は要らないと言う噂が広まっていて、予算が無ければクラブが成り立たないと揉めていた時、応援してくれたのが、宝塚へ行った瀬戸内美八さんだった。かくして無事、クラブも発足した年、幸運にも、男女共に団体でインターハイに出場する事が出来た。因みにその夏、音体部もインターハイに出場した。

 弓道の大会は山形県酒田市で開催された。船と汽車を乗り継いで長い時間掛かって酒田まで行った。試合は、三人の団体で的に当たった矢の本数で勝敗を決めるのだが、予選の時、度胸があるからと先頭に立たされた。その時、教わっていた作法が違っていたらしく、矢を床に置いた位置が違うと、前面の座に座っている審査員が盛んに注意していた。当初、何の事か理解出来ずにいたら、遂に審査員は席から降りて来て自分の置いた矢の位置を半歩後ろに置き直した。おっとり過ごして来たせいか、今までアガルと言う事を知らなくて、ここに来て始めてアガルと言う経験をした。それからはもう、調子が狂って、所作が早くなってしまって、山本先生が頭を掻いて間を持て!と言うサインを送っているのが虚しく、散々な結果に終わってしまった。女子の団体戦の方は予選も通過し、1戦目まで進出した。後の反省会で、半矢、即ち半数の得点をしていれば、弓を引く形がきれいだったので技能優秀校になっていたと、その時知らされた。今の自分なら当然抗議している所だが、当時は純朴な少年だったので何も言えなかった。

 赤松君は卒業しても、最近まで武道館や高校の弓道場へ後輩の指導に行っていた。私も美大在学中は夏休みなどには一緒に武道館へ指導に行っていた。また同時に、美大志望の受験生のデッサンを見て上げていた。それは日本画の市原義之先輩などからの伝統として、いつもそうしていた。

 昨年開かれた、渭山同窓会の総会では、その時の後輩で21回卒の森(大田)優子さんと19回卒の松丸(高井)光さんが38年振りに、お礼を言いに会いに来て下さった。始め、顔が思い出せず、思い出すのに少し時間が掛かったが感動の出会いだった。その後、21回卒の村上(鵜山)早代子さんと4人で銀座の画廊で再会する事が出来た。

 16回の同級生は結束が固く、よく会う機会があり、食事などをしている。大西先生が退職された年は、14Hの中村敦子さん、岡部禎徳君、近藤公昭君と4人で大西先生を伊豆へ旅行に招待した。2台の車で出掛けたのが、忘れられない思い出になっている。

 同窓会の総会に出席したり、幹事の仕事をした事で、多くの異学年の方と親しくなった。26回卒の戸田浩二君が渭山同窓会の東京支部のホームページを立ち上げてくれている。

“http://www.izan.jp” 是非、書き込み等、活用して下さい。


『人生五十年』

城東高校第二十回卒 片山 正


新年明けましておめでとうございます。

今年は城東高校創立百周年祭の年であります。私事ではありますが、私は一九五〇年生まれ、現在国内の貨物の海上輸送に関わる事業を営んでおりますがご多分に漏れずこの不況に四苦八苦しております。素材産業の不振をもろに受け、小泉首相のいわれる痛みを十分味わっている次第であります。半世紀余りの人生を過ごして参りましたが、我が母校は一世紀を経るわけであります。世の中も二十一世紀に変わり二年目を迎えこの世紀が我々人類にとって、どのようになるか興味津々であります。恐らく我が人生の残りは、二十一世紀のクオーター位までしかないとは思えますがある程度の世紀の流れは見えて来るのではないでしょうか。

私見を申せば、私は人生は五十年を活きれば、後は余生だと思っております。それぞれが自分の思うように活きてきた人生を振り返りつつ残った人生をいかに有意義に過ごすか、又いつ人生が終わってもよいような心の準備の期間であると思っております。ただ、私みたいな凡人にとっては、この過ごし方が非常に難しい事であります。やり残した事の無いよう、あるいは思い残した事のないよう日々を過ごしたいと思っておりますがなかなか思うようにはいかないものです。個々により人生観は違うと思います。五十歳を越えたら余生だなんてとんでもないと思われる方も多々おられましょうし、八十歳になっても百歳になってもまだまだ人生はこれからだと前向きに考えられる方もおられましょうし、幾つになられても青年の気概を無くさられない方も大勢おられましょう。そしてその人生は、きっと楽しく美しいものなのでしょう。 我が母校は、この一世紀の間、新しい活力がどんどん注入され常に若さを保ってきたと思います。先人が造り後輩がこれを守り育んできた、そして新しく創造してきた母校は、これから何世紀も発展し続けて行くであろうと信じております。その為にも、よき校風を守り育てていただきたいと思っております。二十一世紀の新しい幕開けと殆ど同じくして、城東高校の新しい世紀が始まります。これも又、興味津々として、見守っていきたいものです。

青春時代のいろいろな思い出が詰まった母校。普段殆ど忘れかけていたこと(申し訳ない)もこの様な機会を与えられると次から次へ沸々と色々な方への想い、あるいは当時の景色が湧いてでて懐かしく楽しいものです。

昭和四十四年卒城東二十回卒業生の同窓会は、卒業以来、殆ど行われておりません。それぞれが、各方面で活躍されておられるとのお話は耳に入ってくるのですが、この紙面をお借りして一度集まる機会ができればと思っております。本紙をお読みになられた方一度ご連絡下さい。卒業後、30数年前の旧知を暖められればと思っております。

稚拙な文ではありますが、城東高校卒業生の皆様のご多幸をお祈りして終えたいと思います。



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